君を夏に喩えた

雑食ヲタの備忘録

雑記:ひとの喪失

遅くなりましたがあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


1月も下旬になり、「ああ去年の総括とかしてないな」と思ったがそれどころではなかった。
本当は「今年良かった曲15曲」とかやりたかったんだけれど(っていうかやる気を出せれば今でもできることだけど)、それどころではなくなったのだ。


祖母が死んだ。

身内が死ぬのは初めてだった。
23歳にもなって、初めて「人そのもの」という喪失を経験した。

祖母は12月に「腰が痛くて動けない」と整形外科に入院した。
最初は会話も出来ていたのだが、徐々にぼうっとしていき会話もままならず、日中寝ているような状態に年末になった。
そしていくつもの脳梗塞ができていること、重い膀胱炎になってそれが体中で悪さをしていることが年始早々にわかった。

それからは祖母はずうっと意識がない状態で、私たちの前で目を開けることもなくなった。
いくつもの機械が彼女につながれていて、ピッピッと血圧やら呼吸数を測る音が病室に静かに響いていた。
医師に「いつ危なくなってもおかしくないから、会わせるべき人には早く会わせた方がいい」と言っていた(そして実際、自動車で一時間ほどしたところに住んでいる従姉が見舞いに来た。彼女は泣いていた。「また来るよ」と最後に祖母に言っていたがそれは生前中には叶わなかった)

幸い病院が家から徒歩10分圏内だったため、行ける日はほとんど毎日病院に行った。
祖母が目を開けて、「~~ちゃん」と呼んでくれることはなかったが、それでも行った。

そんな中での、ある日曜日だった。
父の携帯が鳴って、普通に返答していたから父方の祖母(亡くなったのは母方の祖母だ)のヘルパーさんがかけてきたのだろうと思っていた。
電話を切った父は必死の形相で、「祖母の血圧が下がってきたからなるべく早く病院に来いと。とりあえず親族に電話をかけろ」と私たち家族に言った。
それからはどたばたと親族(伯母や従姉たちだ)に連絡をし、家族で病院に行った。

病室を開けるとカーテンがかかっていた。
おかしいな、と思いながらカーテンを開けた。
そこで私が見た光景は、すべて0という数字が表示された無機質な機械の画面だった。
ビーッ、ビーッとうるさい音が病室に響いていた。
祖母は既に亡くなっていた。

担当していた看護師によると、私たちが来るつい4、5分前に祖母の息は絶えたのだという。
私たちが親族に連絡をスムーズにし(少しばたついてしまったのだ)、早く病院へ駆けつければ間に合ったのに。
あの時の光景は、もう二度と忘れられないだろう。
そして、私は祖母の死に目に会えなかったことを一生後悔するだろう。

事前に父が葬儀会社の手配をしていたらしく、そこからはスムーズにいった。
死んで間もなく祖母は葬儀の会館へと運ばれた。
……こうやって祖母が死んだときのことを綴ってはいるが、正直あまり覚えていない。
覚えているのは、機械音と0が並んだ画面。

通夜と葬儀は滞りなく行われた。
祖母の死に顔は綺麗だった。今にも動きそうだった。
本当は生きているんじゃないかと錯覚するほどだった。
祖母が火葬場に運ばれて行って、骨になってもそう思っている。
どこかで生きているんじゃないかと。

こうして初めてひとの喪失に立ち会っても、死にたいと思うのはなぜだろう。
祖母が火葬場へ運ばれるときに「いやだ、行かないで」と思ったのに死にたいと思っている。
祖母との最後のお別れのとき、「なんで連れて行ってくれないの」とぽつりとつぶやいたのだ。
このまま人の喪失を味わうなら、いっそ連れて行ってくれた方がましだ。
それなのに、祖母はわたしより先に逝って、燃やされて骨になった。
辛い。この三文字が頭を支配する。

もう人を失いたくない。それなら先に死んでやる。
それなのに死ぬ勇気はまるで起きない。こんなに死にたいのに。
ああもう頭の中がぐちゃぐちゃだ。
早く死にたい。
ばあちゃん、今からでも遅くないから私のことを連れて行ってよ。