君を夏に喩えた

雑食ヲタの備忘録

雑記:パンケーキみたいないのち

気がつけば12月になっていた。
前の記事が1月だから、ほぼ1年放置していたことになる。

祖母が亡くなり、もうすぐ一周忌だ。
そんな中、10日前に祖父が亡くなった。
俗に言う、ヒートショックによるものだった。
その日私は遠方の現場でバイトをしていて、父に大阪駅まで迎えに来てもらっていた。
「駅に着いたので待ってます。タピオカを買っています」というLINEに嬉しいけどなんで?と思いつつ、大阪駅に着いた。*1
そしてのんきにタピオカを飲もうとする私に父は「祖父が亡くなった」と口にした。
それを聞いた瞬間、意味がわからなかった。
病院でだんだんと弱っていった祖母と違い、祖父は元気だと毎週様子を見に行っている母から聞いていた。
だから、本当に、それは真っ赤な嘘だと思った。
実際に嘘でしょ?と父に言ったが、父は「そんな嘘をつくわけがない」と返してきた。それはそうだ。
タピオカをすぐに飲んで、私たちは祖父が待つ実家へ向かった。
実家へ向かう中、どんどん言葉の意味を飲み込んでいって、電車に乗りながら泣いた。
実家に着くと、祖父の部屋に通された。
祖父はやっぱり亡くなっていた。嘘ではなかった。

葬式などは行わず、火葬のみ行った。本当にあっけなかった。
……どこかでまだ信じられない自分がいる。
祖父はまだ生きていて、今度の年明けの集まりに顔を出して、笑っているんじゃないかと。

祖父は私より、初の男孫だった弟の方をかわいがっていて、あまり思い出がない。
それに元々耳が悪くてコミュニケーションを全然取ることが出来なかった。
でも幼少期、弟が生まれるときに実家に預けられた際は幼稚園まで車で送ってくれたし、駄菓子を買ってくれた。
色々思うことはあったけれど、祖父のことが大好きだった。

冬は嫌いだ。大嫌いだ。
寒いのが苦手だから。
そして、大好きなひとたちを奪っていったから。
祖母に、祖父。
そしてジョンヒョン。
今日、ジョンヒョンが亡くなって2年が経った。

ジョンヒョンは日本の形式で言うと今日で三周忌ということになる。
2年前だが今でも思い出せる。
東京の遠征から帰ってきて、昼寝して、起きて、いつものようにTwitterを見て目に飛び込んできたニュース。
あの時も嘘だろと思ったっけ。そして、やっぱり嘘じゃないということを数時間後に知った。

未だにジョンヒョンの遺作はなかなか聴くことができない。
そして翌年のドーム公演でジョンヒョンの歌声と共にSHINee4人が歌った曲たちも。
未だにジョンヒョンの死を肯定したくないのかもしれない。
それでもSHINeeの映像を見ると実感する。
もうジョンヒョンの姿を見ることはできないのだと。

晩、一人で風呂に入っていたとき。
ジョンヒョンのことや祖父のことを思っていたら涙が出てきた。
やがて過呼吸を起こし、呼び出しボタンを押した。
母が来てくれて、「思い出しちゃったんやね」と背中を擦ってくれた。
実家で暮らしているからなんとかなったものの、一人暮らしだったらどうなっていただろうなとぼんやり思った。
私はスピーカーを持ち込んでいて、母が背中を擦ってくれる間、People In The Boxの<日曜日/浴室>が流れていた。

わたしのいのちを、君にあげる
パンケーキみたいに切り分けて、あげる

もし、私の命をパンケーキのように切り分けることができたなら。
それを祖母や祖父にあげることができたかもしれない。
もちろんジョンヒョンにも。
そしたら私の命はすぐに終わりがやってきて、誰とのお別れもすることなく死ねただろう。
でも実際はそんなことはできない。
私は死ぬことはなくて、ジョンヒョンや祖父母は亡くなった。

早く死にたい。
それでも最惜しの現場が決まったりして、なかなか死ぬ勇気が出ない。
それに、きれいに死ぬ方法が見つからない。
そういう風に言い訳をして、今年も結局みじめに生きてしまった。

祖母、祖父、ジョンヒョンを奪っていって、なおひょうひょうと世界に冷たい風を吹かせる冬が憎くてたまらない。
でも、一番憎くてたまらないのは、彼らに会いたい、連れて行ってほしいと言いながら死ぬことができない自分なんだと思う。

*1:その後聞いたが、タピオカはショックを和らげるための父なりの武器だったらしい。