きらきらカーテン

一人の病気ヲタクの備忘録

オフブロードウェイミュージカル『bare』

なんだかうまくまとまらなくて、この時期までかかってしまいました。
まだ全然まとまらないけど、とりあえずあげておく。

STORY

全寮制のセント・セシリア高校。
校長でもある神父の言葉が響くミサでは、卒業を間近に控えた生徒たちが祈りを捧げている。
平凡な生徒ピーターにはある秘密があった。それは、学校一の人気者であるジェイソンという同性の恋人がいること。
いつかは自らを―bare—さらけ出し、愛し合いたいと強く願っていた。
学内の演劇公演のためのオーディションがシスター・シャンテルによって開催され、
美しいアイヴィ、ジェイソンの双子で皮肉屋のナディア、主役を狙うマットも参加し、配役が決定する。
リハーサルが開始されると、ピーターの気持ちはより強いものとなっていく。
ドラッグと酒でトリップするパーティーの中、
気持ちが募るピーターはジェイソンとキスを交わすが、それをマットに目撃されてしまう。
社会、親、友人の目を怖れるジェイソンは自身のイメージを守るため、
ピーターを突き放しアイヴィと一線を越えてしまうのだった。
-bare—になることを求めた彼らの心が絡み合い、そしてついに、一つの終焉を迎える・・・

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ひたすら胸が苦しかった。
歌で畳みかけられるこどもたちの叫び。
さらけ出すことで救いを求めようとしたのに大人たちはそれを突き離す。
キリスト教って私は隣人愛や「皆に仕える者になれ」とか謳っているイメージなんですが*1、それは他人と生きる世界において有効なのであって、学校という狭い社会で、しかも自分の世界でしか生きていないこどもたちにはそれが理解できるわけがないんだよ。

少年少女たちは<bare>「さらけ出す」ことで何かにすがるものが欲しかったのかな。
でもさらけ出す方法が見つからなかったのか、アルコールやドラッグしか方法がなかった。
でもピーターの母親はさらけ出すことを許そうとはしない。神すらも赦しを与えようとはしない。
自分たちのしたいことと、それに対する大人の反応が観ててつらいなあ。

でもただ一人、ジェイソンは反対にさらけ出すのを拒んでる。
それは彼の信念とか、そういうものがあったんだと思う。
父親からの期待とか今の立ち位置とか、そういうものからくる信念。
それに応えたくて、ジェイソンはピーターよりアイヴィを選んだのに、結果その信念はぐっちゃぐちゃに壊されてしまうんだよな~あれ辛すぎる。
しかも信念がぐちゃぐちゃになって、壊れそうになって(いやそのときすでに壊れてたかも)、すがった相手の神父はジェイソンを拒んでしまった。
最後の最後にすがったのは神だったのに、神はゆるしてくれなかった。

ピーターがすがったのは神ではなくマリアさまで。えらくファンキーで面白いマリアさまだったけど。
マリアさま=シスターみたいなものだけど、彼女は神父とは反対にピーターを理解してくれた。
この違いってなんなのかな? 同じ聖職者なのに。
たぶん一番の理由は彼女が人種差別を受けていた黒人だったからなんだろうけど。
ここで人種問題も出てくるから観ていてわからなくなってしまったし、今でも整理はついてない。

日本では昔から衆道があったし、歴史を見ると比較的同性愛の類には寛容なのかもしれない。
でも一方で同性婚は未だほとんどのところで認められないから、何だかあまりにも複雑な問題だなあって思いました。寛容なのか寛容じゃないのか。
クリスチャンだとか、普段身近に宗教を感じていない私たちにはちんぷんかんぷんだし。

ただ、宗教ってなんのためにあるんだろうなあって感じてしまった。
宗教の視点からどうして同性愛が禁じられなければいけないのか。
神ってなんのためにいて、なんのために崇められているのか。
神って私たちの罪をゆるしてくれる存在だと過信していたけれど(それは作中の人物たちも思っていたのではないかな)、ジェイソンを許そうとはしなかったから。
すごく神が、この場合だとキリスト教の神なんだけど、それがとても怖いと思ってしまった。

唐突ですが、わたしはプロテスタント系大学で聖歌を歌う団体に入っています。
神への賛美を歌うことに対して今までただなにも考えずにいたけれど、少しばかり…じゃなくてだいぶ賛歌を歌うことが怖くなってしまった。
でも、なにも考えずに歌うより神って何なんだろうって考えるきっかけができてとてもよかったと思います。


ジェイソン/岡田亮輔
最初はおうスパダリやな!!って思いながら見てたんですけど、どんどん彼を覆っているガラスに「優等生」「期待」というナイフが次々突き刺さっていって…。
そのナイフを抜くこともできずに、ピーターに背中を向けてアイヴィとの行為に走ってしまう。
許されないことではあるけれど、ジェイソンの立場や気持ちも痛いくらい理解できるから、理解はできる。許されはしないけど。

ジェイソンが死んでしまったのは不安・絶望からの自身の逃亡のほかに、さらけ出すことへの代償ということもあったのかなと思います。
この代償はだれか個人じゃなくて全員の代償ね。ピーターやジェイソン、アイヴィやマットがさらけ出した、その代償。

鯨井さんのジェイソンを観ていないから何とも言えないけど、少なくとも岡田さんのジェイソンは自分の意志で死のうとしたのだと思った。
表情が晴れやかというかなんというか、なんの後悔もなさそうな表情をしてたから…オーバードーズで死に至ることをわかって薬を服用したんだなって思う。
死ぬために薬を服用した、みたいな。

ピーター/橋本真一
正直本当に役者みなさんに対しての前知識が無い状態でいったんだけど、橋本くんのピーターはかわいい!
そして、切なく甘い歌声でかわいいピーターがそこにいた。
それでも心は恐ろしく純粋なのにどこか芯の通った部分があって、この子は強いなと感じた。
最後の神父に向かっての「あなたを赦します」と静かに告げるシーンとかそうだな。
ジェイソンを殺したのは救いの手を伸ばさなかった神父と考えてもおかしくないのに、ピーターは赦した。
赦すことは決してたやすくない。それでも赦した彼には強い炎が灯っていた。

そういやどうでもいいけど、キリスト教の主の祈りの一節である「われらに罪をおかす者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。」を思い出したなあ。
彼はやっぱりキリスト教徒なんだなあって思ったりもして。

アイヴィ/皆本麻帆
皆本さんが本当にきれいだった!
妖艶(言葉がうまく見つからない)でちょっぴりチャーミング、そしてちょっと小悪魔的な雰囲気を醸し出してた。
でも中身は大人になることを誰より恐れている子供で。
それはジェイソンとの行為でさらけ出すことになってしまうんだけど、その感情の発露が苦しかった。
最初のみんなを翻弄してそうな大人っぽい雰囲気から、そのおびえる子供の差というのがはっきりしていてよかったな。

自分の容姿をうらやむナディアとの衝突は、理解できるはずなのに理解できない二人っていう感じで見ていてもやもやしていたけれど、最後の卒業式のシーンではなんとなく、その衝突を乗り越えたんじゃないかなって思った。もうこれどっちかっていうと妄想だけどさ。
きっと卒業式の彼女はおびえていた大人への道に一歩、踏み出せたんだろう。

ナディア/あべみずほ
憎めないキャラだな~。
たぶんジェイソンとずっと一緒にいたから、彼の一番の理解者なんだと思う。
ピーターは彼のことをヒーロー視している節があるし、ジェイソンのことは好きだけど彼のことを考えているということはあまりなさそうな印象を受けた。
そういやふつう自分と比較される対象って嫌いになることが多いじゃないですか。
でもナディアは本当にジェイソンのことが大好きなんだってひしひし感じた(ピーターとの関係が周囲にバレたところとか)
それはお互いがお互いのことを一番理解しているからなんだろうね。
特に絶望しているジェイソンに「夜になったら電話して。ううん、夜じゃなくてもいいからいつでも電話して」と言うシーンでは、あっこの子しか今のジェイソンはわかってやれないんだと思った。
でもジェイソンは彼女の手を掴まなかった、といのはあのラストに至る一つの要因だったのでは。

いつも比較されていた、そして一番理解していたされたいた、そんな関係のジェイソンが死んでしまって、ナディアのこれからはどうなるんだろう。

マット/染谷洸太
ほんと!!!マットがどんまいキャラ(軽く言うけど)すぎてさ!!
いつも二番手で、アイヴィにさえ振り向いてもらえない。
去っていく彼女をただ立ち尽くして見るマットの目が悲しすぎて、切なすぎて辛い。
彼がジェイソンとピーターの秘密を知ってから物語は大きく変わるんですけど、その波に揉まれながらも主役にはなれないマットは痛々しいなあと。
あのエンドでマットはどうなってしまうんだろう。
アイヴィやナディアは想像がつくというか、こうであってほしいという願いがあるんだけどマットの未来がわたしにはなにも見えない。



そういえば、ミュージカルではあったけどナンバーがすごい多くてどっちかっていうとロックオペラみたいな感じだったな。
でもそれが彼らの感情をこっちにより届けていたと感じます。
歌はなにより人々の心を揺さぶるものだから、彼らの叫びは観客の中に時にはすっと水が中に浸透していくように、時にはぐさぐさと突き刺さるように届いたのではないでしょうか。

*1:すごい偏見だと思う