きらきらカーテン

一人の病気ヲタクの備忘録

今日で推しがグループを卒業します─それは推しとの別れか、推しという呪いからの解放なのか、或いは。

「これが皆さんとの公式での最後のイベントです」

三ヶ月続いたオンラインイベントのエンディングの中、日本で活動したおかげで随分上達した日本語で、彼が紡いだ言葉だった。


彼──イ・セヨンを初めて見たのは三年前の春。
韓国版の特撮、『獣電戦隊キョウリュウジャーブレイブ』で俳優の推しである山本匠馬さんが吹き替えをしたブレイブキョウリュウゴールド/ジュヒョクを、彼が演じていたのだ。
YouTubeで配信されており、1話約12分というさくさくと見られる時間だったため、わたしは確か通勤途中に見ていたと思う。
30分電車に揺られる中、時には戦隊の前に立ちはだかり、時には手助けをする謎目いたジュヒョクにわたしは惹かれていった。

キョウリュウジャーブレイブでは、キャラクターは女性以外皆K-POPのアーティストが演じていた。
K-POPに関しては、その前の冬にFNS歌謡祭でSHINeeを見て「K-POPってかっこいいんだな」と思ったことはあったが、深く知ろうとはしなかった。
だから、そのキャラクターに惹かれても演じている中の人にはハマらないであろうと思っていた。
でも悲しきかな、ヲタクというものは軽い生き物である。
ふと彼が所属しているCROSS GENEのMVをYouTubeで見た。
MVでは、謎目いていたはずの彼はキラキラと輝いた姿で歌い踊っていた。


<Black or White>という曲はとてもわたしの好みで、丁度その頃突然の異動を言い渡されたわたしは、半分以上短くなった通勤の電車で一日一回はそのMVを見ていた。
異動先では色んな現場に飛ばされ(下手すると二駅ほど離れていた)、そこまで彼らの日本オリジナル曲である<Love & Peace>を口ずさみながら真夏の陽射しが照りつける道を自転車で漕いでいた。
上司との上手くいかない関係、押し付けられる新卒では本来できない作業、いくら残業しても残業代がつかない理不尽さ。
どんどん食べられなくなり、肉体的にも精神的にも弱っていくわたしに寄り添ってくれたのは、CROSS GENEの曲、そして彼の歌声だった。

彼を好きになって少しした頃、日本の日韓交流のようなイベントにCROSS GENEが出ることを知った。
丁度休みだったから、急いでチケットを取った。
その時にはもう身体の方にガタが来ていただろうか。
それでもワクワクしていた、彼をはじめて見ることができるということに。
K-POPの現場は初めてで、一人ではかなり怖かったが、ちょうど匠馬さんが好きで同じタイミングで彼にハマったTwitterのフォロワーさんと偶然連番だったため、安心して観ることができた。
日本や韓国のグループがパフォーマンスをしている間、フォロワーさんと二人で独特の空気感に戸惑いつつCROSS GENEの出番を待った。
CROSS GENEは最後から二番目の登場だった。
今でも思い出せる、どの曲をやったか、どんなに素晴らしいパフォーマンスだったか。
すごく楽しくて、何よりも彼のパフォーマンスが本当によくて本当に嬉しかった。


やがてすべての面で限界を迎え、わたしは休職して一年で仕事を辞めることになる。
そんな中、冬にCROSS GENE五周年記念のヒストリーBOX発売の接触イベント(ツーショット、サイン、握手)があった。
精神面はともかく体調も少しずつ回復していたし、せっかく予約で買ったのだから行くことにした。
接触イベントなんてはじめてで、自分の番まではすごくドキドキした。
スタッフに呼ばれてブースに移動すると、はじめて触れるほど近いところ、目の前に彼がいた。
彼はとても綺麗だった。余計にどきどきした。
夕方で寒かったからか、サインを書きながら「どれくらい待った?」と聞かれた。
それに素直に答えると驚かれ、握手のときに「手、冷たくてごめんなさい」と言うと「大丈夫! ぼくあたためます!」なんて言ってくれた。彼の手は、本当に暖かかった。
次の回も行くことを伝えていたので、終わりにブースを出る際には「カフェであたたかくして待ってて!」と声をかけてくれた。
本当に、その夜は幸せだった。
まあ、次の日からどん底に落とされるのだけれどそれは違う記事で書いているからいいとしよう。


その後、生誕イベントやCROSS GENEのコンサートに足を運んだ。
その頃からCROSS GENE関連のフォロワーが増え、交流することも多くなった。
また、9月からは彼が日本で俳優活動を始めた。
普段とは違う姿を見られることが嬉しかった。

その年の12月にメンバーが抜けCROSS GENEが4人になったことは、わたしにとって大きな出来事だった。
いつの日か終わりが来る、そんなわかりきっていたことが、突如目の前にやってきたような感じがした。
だから、翌年彼が出た舞台には全て足を運んだ(全ステという意味ではない)
いつ終わりが来てもいいように、後悔しないように。

韓国にもイベントで三回ほど足を運んだ。
パスポートを持っていなかったので、わざわざ作ってまで行った。
後悔したくない、その気持ちがじわじわと自分の心に黒く侵食し始めた時だった。
実際韓国は楽しかったし後悔はしていないが、この頃から自分は半ばやけになって彼を追っていた。
当時はそう思ってなかったけれど、今はそう思う。


今年は日本でイベントに一回出てから舞台を二回やり、本当はまだイベントがあったはずだが(公式がアナウンスしていた)、コロナのせいでそれは無くなってしまった。
その代わり、オンラインのイベントが何回かあった。
もう一度生で彼の歌ったり芝居したりする姿が見たいな、そう思いながら日々を過ごしていた。

その間、やはりコロナのせいでアルバイトのシフトがまったく入らなくなり、精神はどんどん悪くなっていった。
せっかく見つけた短期の派遣も、過呼吸を起こして倒れるなどした。
これではなんにも役が立たない。
自分の精神は限界を迎えて、早く死にたいと思っていた。
しかし、そんな中での彼の存在は、ただ生きなければという重石になってしまった。

三ヶ月連続でオンラインイベントを行うというアナウンスが公式からされた。
それからは、ただただ死にたいという心を一生懸命抑えて生きた。
彼がいるから、彼を見なきゃいけないから。
いつの間にか「~できる」から「~しなきゃいけない」に変わっていった。
ある種の強迫観念というものだろうか。いや、むしろ呪いと言った方が正しいかもしれない。

そして、今月中旬に行われた最後のオンラインイベント。
彼がそのエンディングで言ったことが、最初に書いてある言葉だった。
それから何日か経って、彼が11月30日をもってCROSS GENEを卒業するという知らせが公式からされた。
そして、それが今日だ。
今日をもって彼はCROSS GENEではなくなり、それと同時に、きっとわたしは一種の呪いから解放されるのだろう。


今日、バスの中でウォークマンをシャッフルにして流していた。
流れたのはCROSS GENEのCorvusだった。
4人になってからの唯一の曲。
これは昨年のコンサートで初めて披露された、どこか切ないメロディーの曲だった。
蘇っていく、色々なことが。

メンバーにいじられている姿。それでもって天然でメンバーを困惑させているところ。
どんどん進化していく演技。彼の唯一無二の歌声。彼の屈託ない笑顔。
彼はわたしに生という呪いをかけていたかもしれないけれど、与えてくれたものはすべて宝物だった。

Corvusを聴いていたら涙が流れ、思わず隣に座っていた母の手を握った。
母は何も言わず、片方の手でわたしの手を撫でてくれた。

彼がこの先どんな道を行くのか、今のわたしは知らない。
出来れば歌や芝居を続けてほしいけど、「第二の人生を送りたい」と言っているから、それがどんなものなのか本当にわからない。
でも今まで彼が歌ったもの、演じたもの、与えてくれたものすべて忘れないよ。
ねえ、セヨンさん。わたしを今まで生かしてくれて、ありがとう。
あなたの幸せを、心から望みます。


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と締めくくったとはいえ、わたしはなんやかんやでこれからも彼のことを大好きでいるんだろう。
わたしへの第二の呪いはこれから始まるのかもしれない。
そう恐れと期待を抱きながら、世界という名の地獄で、もう少し生きてみようか。